2014年4月22日火曜日

正直であること




「人をだまさない政治家(せいじか)がいない。」最近、友達はこういう話を言いました。話し合って、私も賛成することに気がつきました。長い時間、私はこれが嫌だと思ったけれど、仕方がないではないでしょう。大衆(=たいしゅう the masses)の意見は、時々あまり論理的(=りろんてき logical)に考えることができないような気がします。例えば、アメリカでの60年代のマッカーシズム(McCarthyism)や、第二次世界大戦のひどい宣伝などのことです。だから、特に困った時に、何でも皆に教えたら、社会が大混乱(=だいこんらん chaos)になると思います。政治は、この結果を出ないように存在しているのではないでしょう。 

第二次世界大戦のイメージは、どうしてこんなにひどいでしょうか。大衆のせいではないでしょうか。

しかし、うそをつくのは必要ならば、誰がどの場合ではうそをついてもいいでしょうか。政治も、人々も、必要などという言い訳(いいわけ excuse)を使って、うそをつきすぎます。他人をだますことの必要さの限り(=かぎり limit)は考えなければなりません。実は、私も、最近この問題をもっと考えてなりました。というのは、うそをつくことは本当に苦手だからです。すごく小さいのは、いいかもしれませんが、もし本当にうそをついたら、すぐ悪く思って、後で明るく説明しなくてはいけません。この結果、私は他人に利用されて(りよう used by other people)いやすくなるかもしれないと思います。同時に、私にとって、うそをつくことが難しいです。

1 件のコメント:

  1. 私は難しいことも言わなければならないと思うので、うそをつくことを避けるようにしています。難しいですが、私にとって、うそをつくことも難しくて、将来うそを見出すことがとても大変だと思います。

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